ゴルバチョフ書記長、って言葉にするのは好きだったけどw どんな人か全く知らなかったわ。東ドイツの人(みんなかどうかは知らないが)、アレックスはゴルビー好きみたい。ちなみにアメリカ人が真剣な顔して東ドイツ出身のアレックスにYou must be appreciate Regan. とか言ってるの見たことあって、口アングリ。 本気でレーガンが壁崩壊をして"あげた"、感謝しろよと思ってるアメリカ人もいるらしい。今も昔も・・・だな。
とにかく、この日はなんとも衝撃の日だったらしい、アレックス11歳の冬。そりゃそうだろう、ある日を境に世界が180度変わってしまったんだもんね。きっとアレックスの年代がはっきりと東ドイツ社会主義(共産国家?)の生活をしっかり覚えて理解してる、最後というか一番若い年の人たちじゃないかなと思う。
アレックスの弟・妹になるとあまりに子供すぎて(11歳も十分子供だけれども)、はっきりと記憶にないみたい。
この監視塔からいつも見張られていて、壁を越えようとして銃殺された人、多数。壁崩壊の数日前に殺されてしまった人もいたとか。あと数日待っていたら・・・
MITTEエリアでは壁の立っていた後にsteelのインスタレーションが出来ていたり。
この点線(?)も、壁跡地。
これは西側。
これは東側。だけれどももちろん壁が崩壊してから東側にはGraffitiが描かれはじめました。
さて、LAにもベルリンの壁があるの知ってますか???ベルリン以外でもっとも大きな形をなして保存されてるベルリンの壁だとのこと。(Which way LA?の記事。Which way LA?はいつも興味深い内容で大好き)
これは5年前に20周年イベントがLAで行われたときに行ったもの。LACMAの向かいに立ってるのを見たことがある人も多いのでは?
夜中の12時からのイベントだったのだけれど、結構すごい人でした。ヨーロッパ人多目。ドイツから有名な歌手も来てライブ。そしてこのフェイクの壁をみんなで壊して疑似体験w
壁崩壊以前の生活 や東西統一してからの話をアレックスから聞くのが大好きな私。歴史は苦手だけれど、この近代に私より年下のアレックスが体験したことなんだと思うとさらに本当に本当に興味深い。驚くことがたくさんありすぎる。一度、日本人女性の会でアレックスが話をさせていただく機会があったのだけれど、もっともっとたくさんの人に聞いて欲しい!!って思うし、どこかで講演でもしたらいいのに!!!といつも思います。
映画のようなスパイの話、こっそりと西側のラジオ電波を受信して聴いていた話、西側の家族と会う時はプラハまで行く話、老人は西側に行くことが許されていたのでおばあちゃんが買ってくるコーラを楽しみにしてたこと、バナナは高級品で年に何度か兄弟で分け合って食べたこと、車はダンボール製、ベルリンの壁崩壊翌日からクラスの半分しか学校に来てなかったこと、初めて西ドイツに行ったときの西ドイツの人の反応・・・・などなど、もう本当にすごいの!
ちなみに、ぱぱっと日本のサイトをぐぐって見てみると、全て東西経済の格差やどれだけ東ドイツが重荷と思われてるかをつらつらと書いてるサイトがずらっと出てくるけど、それってどうなんだろう?長年の願いだった統一がされたのに、結局人間って本当に差別するのが好きなんだなぁと思う。東ドイツの人は大変な時代を過ごしてきたのに(でも、これも簡単に一言で言えない。共産国、究極のユートピアということで経済格差がない国民皆平等、女性差別がなく同じだけの権利・仕事があり国の保護が手厚かったなど、そういった良い面もあった)、結局は統一したら西側が「養ってやる」というような感覚でいる人も少なくないのか。 私が会う東ドイツの人はみんな素朴でとーーーーっても良い人たちです。そして勤勉真面目。ドイツがヨーロッパを牽引する経済大国になったのは別に西ドイツだけのお陰じゃないだろう。でも、結局人間はいつも蔑む人を探して生きる生き物なのかね。あの素晴らしいリーダー、アンゲラメルケル首相は東ドイツ出身だYO!
ところで、ドイツ在住日本人ジャーナリストの方のこの記事がすごくわかりやすくてとても良い記事なので読んで見てください。
そしてこの記事に書かれている、↓この場面。アレックスもこれを見るたびに、うるうるとしてます。
ベルリンの壁があそこで崩壊しなかったら私とアレックスが出会ってこうして結婚することもなかったんだよなー。アレックスは近所のパン屋の娘と結婚してたのかもなw
アレックスの好きな写真。東側の兵士たちの呆然とした姿。西側ではお祭り騒ぎ。
大きな歴史の一ページ。つい最近のこと、それを目の当たりに目にして感じられるベルリンが大好き。いつ行っても熱いものが込み上げる。そして、深く考えたこともなかったこの1ページを教えてくれたアレックスに感謝。ゴルビーにも感謝w